織田信長の家臣であり、三日天下の明智光秀。
今回は光秀に関するお風呂エピソード。
戦国時代の1565年5月、明智光秀が加賀国(現:石川県)の山代温泉へ湯治の為に来浴されたとされる。
1565年というと、まだ光秀が朝倉家に仕えていた時だろうか。
10日間、山代温泉に浸かり、小瘡が完治。
『明智軍記』にその記載が残っている。
山代温泉は約1300年の歴史を持つ。
725年、に行基が霊峰白山へ修行に向かう途中、一匹の烏が羽の傷を癒している水たまりを見つけた。これが今に受け継がれているという山代温泉という。
また、この烏が八咫烏とされ、人々は「烏の湯」と呼んでいたとも。
1582年6月21日、光秀は本能寺の変で信長を破る。
余談だが、現代では6月2日になるとSNSで本能寺の変のツイートを見かけるが、6月2日は旧暦であり、西暦ベースだと21日だ。毎年気になっている。
その後の山崎の戦いで光秀は羽柴秀吉に敗れ、本能寺の変から僅か11日後に死没。
画:月岡芳年 (中央の主役は光秀を狙う村人。光秀は左奥...)
光秀の死から5年後、光秀の叔父であり、塔頭・大嶺院の「密宗宗顕(みっそうそうけん)和尚」が、光秀の菩提を弔うために「妙心寺」に浴場を創建した。これが通称「明智風呂」と呼ばれる。
墓ではなく浴室にしたのは「主君織田信長を討った逆賊という汚名を洗い流したかったから」という説があるとか。
また、光秀が討たれたとされる6月14日(旧暦)には毎年風呂を開放して「施浴」を行い、入浴に際して光秀の位牌に合掌し冥福を祈ったとされる。
当時のお風呂は蒸し風呂であり、現代でいうとサウナに近い。
明智風呂は現在は使用されていないが、期間限定で公開されている事もあるので、タイミングがあれば是非。
みっちゃんの生前の温浴エピソードあまりないわね。。
明智軍記をちゃんと読んでみますか。創作と言われがちなので、史料としてはアレですが。
何かあれば、追記しま~す!
参考文献 / 参考サイト
山代温泉について|山代温泉観光協会 (yamashiro-spa.or.jp)
浴室 | 参拝・拝観 | 境内のご案内 | 妙心寺 (myoshinji.or.jp)
湯は、汚名を洗い流す。 | 湯道百選 (yu-do100.jp)
京都の妙心寺にある「明智風呂」のいわれについて資料はないか。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)